円覚寺

円覚寺山門

円覚寺山門

瑞鹿山円覚興聖禅寺は、臨済宗円覚寺派の総本山で鎌倉五山第二位です。鎌倉幕府八代執権北条時宗が弘安5年(1282)に創建。開山は宋の名僧無学祖元(仏光国師)です。元冦に殉じた敵味方供養の為に建立。最盛期では42の塔頭寺院があった大寺で、現在でも18の塔頭は市内で一番多い数です。境内の舎利殿は、神奈川県で唯一の国宝の建造物です。

元寇

文永11年と弘安4年、海を越えて元国(現在の中国にあった、蒙古民族を中心とした国家)が、二度日本を襲来しました。時の執権北条時宗は、この国難に際して国を挙げて元軍の侵入を阻止します。円覚寺は、この戦いで戦死した敵味方供養の為に建立されます。鎌倉五山第二位の瑞鹿山円覚興聖禅寺は、時宗が開基、開山は宋僧、無学祖元(仏光国師)です。これ以上学ぶ事が無いという程の高僧でした。寺の落慶開堂の日に、白鹿が国師の説法を聞きに来た事から瑞鹿山の山号が、また国師が定礎の鍬を入れると地中から円覚経の石櫃が出てきた事から円覚寺と名づけられたと伝えられています。そして、寺入口の線路前の池は「白鷺池 (びゃくろち)」と言いますが国師が鎌倉に来た時に、八幡宮の神が白鷺となって国師を、この地に導いたという伝説があります。

七堂伽藍

七堂伽藍の中国禅宗様式ですので、父時頼の建立した建長寺と建物の配置がそっくりです。ただ父に遠慮して少し規模を小さくしました。それを補うために段差を付けた場所に建立し総門、山門、仏殿、法堂(現存しない)、方丈の並び方が階段状になっていて、間近に行って仰ぎ見ると大きく見えます。仏殿は関東大震災で倒壊し、昭和39年にコンクリート造りで再建されました。本尊は宝冠釈迦如来で人間臭い飾りを付けています。高い位にいる釈迦が、人間と同じ位に下りてきて話すという禅宗の考え方を意味しています。方丈の前庭には仏教にゆかりの樹木が立ち並びます。柏槙(びゃくしん)、木斛(もっこく)、白雲木、菩提樹、毘蘭樹、児手柏等です。その裏庭は、枯山水の石庭が広がっています。

舎利殿

方丈を出ると、妙香池があり、舎利殿はその奥にあります。神奈川県で唯一の国宝建造物です。ここの仏舎利は源実朝が宋の能仁寺から招来したものと言われています。これは、鎌倉尼五山第一位の太平寺(廃寺)の仏殿を移築したものです。ここには開山堂と禅の修行をする僧堂とがありますが、拝観はできません。

塔頭 (たっちゅう)

塔頭は大きな寺院内にある、小さな寺院をさします。鎌倉の多くの寺院も、その中にたくさんの塔頭を持っています。円覚寺の塔頭の数は、現在の鎌倉の寺の中では一番多く18ヶ寺あります。主なものは、開基時宗の廟所仏日庵、夢窓疎石の塔所黄梅院、春ぼたん等の美しい松嶺院、また帰源院(一般拝観はできません)は夏目漱石が参禅し、この体験をもとに名作「門」を書きました。また円覚寺を頂点とした同じ宗派の寺があります。東慶寺、浄智寺、瑞泉寺は、臨済宗円覚寺派のお寺です。

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