建長寺

建長寺

建長寺

臨済宗建長寺派総本山で鎌倉五山第一位のわが国最初の禅寺です。開基は五代執権北条時頼、開山は蘭渓道隆で建長5年(1253)の創建。当時は七堂伽藍が、一直線に並び、最盛期では僧侶1000人、塔頭49院もありました。現在でも鎌倉一番の寺容を誇ります。本尊は仏殿に祀られている地蔵菩薩です。境内の奥には寺の鎮守半僧坊大権現が祀られています。
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地蔵菩薩

以前にはこの地は地獄谷と呼ばれていました。処刑場だったのです。そこには地蔵菩薩を本尊とする心平寺というお寺がありました。この本尊が建長寺仏殿内の地蔵菩薩に縁があります。時頼が執権の頃に、ここで済田左衛門金吾という男が無実の罪で斬罪に処せられようとしました。討手の武者が二太刀まで切りつけましたが、済田の首は切れませんでした。不思議に思い彼の髻 (もとどり) を調べてみると、中から彼が日頃信仰している1寸8分の地蔵像が出てきました。像の背中には、くっきりと刀傷がありました。時頼は済田の信仰心に免じて彼を救いました。お地蔵さんのご加護に感謝した彼は、地蔵像を心平寺地蔵菩薩の中に納めました。後に建長寺創建時に仏殿のご本尊の胎内に移したと言われています。

鎌倉五山第一位

建長寺は鎌倉五山第一位です。正式名称は巨福山建長興国禅寺。巨福呂の地に建長5年天下太平を祈り日本で初めて純粋禅の禅寺として創建されたという意味です。鎌倉幕府五代執権北条時頼は幕府内で唯一の対抗勢力であった三浦一族を宝治元年に滅ぼし天下の実権を得ました。そして鎌倉武士になじみやすい禅の専門道場創建を考え臨済禅をここから広めていきます。日本人に長く伝わってきた質素倹約の良き生活感は建長寺が発祥と言えます。

蘭渓道隆

建長寺の開山として迎えられたのは宋の名僧・蘭渓道隆です。国宝として寺に残る道隆自筆の「法語規則」に書かれてあるように厳しい規則と作法で門弟を指導しました。道隆は死後に大覚禅師という日本で初めての禅師号を授かっています。伽藍は中国径山 (きんざん) 万寿寺を模しています。ですから創建当時は中国禅宗様式の七堂伽藍の総門、山門、仏殿、法堂 (はっとう) 、方丈がほぼ直線上に並び浴室と東司 (とうす) とが山門前の左右にありました。最盛期では僧侶約1000人、塔頭は49院もありましたが、たびたび火災にあい古い建物は焼失し幾度か再建を繰り返していました。現在の建物の多くは江戸幕府により再建されたものです。

建長寺の話

建長寺にまつわる話は数多くあります。狸山門、梶原施餓鬼、乙護童子、謡曲「鉢の木」、狂言「鐘の音」、けんちん汁、百貫点、きれいにする意の「建長寺」、半僧坊の事、徒然草の「障子張りの話」「酒の肴の味噌の話」、太平記の尊氏謹慎の場、等々その他にも沢山あります。また、境内には織田有楽斉(信長の弟)の墓、江戸時代の豪商河村瑞賢の墓等もあります

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